ミルドレッドの魔女学校(The Worst Witch)を観た

Netflixで配信されている「ミルドレッドの魔女学校」を観ました。
これが予想を遥かに超えて面白かったので、久しぶりにブログが書きたくなりました。
 
◯The Worst Witch
原作はジル・マーフィー(Jiii Murphy)の「The Worst Witch」で、1984年発刊の児童文学です。
 
過去にもドラマ化されていたようですが、再度映像化され、現在は英国のCBBCで放送中。(英国ではseries4が放送中)
日本では、現在Eテレでも放送中ですが、Netflixでは既に第3シリーズまで配信されていて、こちらで一気に視聴しました。
 
時代は現代。魔法使いや魔女がいる一方で、その存在を全く知らない一般人もいる世界。
そんな中、一般人の少女ミルドレッド・ハブル(Mildred Hubble)は、ひょんなことから魔女学校に入学することに。
彼女の学校生活はトラブルばかりで、何度も退学させられそうになりながらも、その中でかけがえのない友人を得、大切なことを学びながら成長していく。
 
そんな物語です。
 
◯シリーズの魅力
正直のところ、この作品を見始めて2、3話くらいの時点で、こんなにハマるとは思っていませんでした。
じゃあ、どこに魅力を感じたのかを考えてみました。
 
元々少年少女向けの作品だけあって、シリーズを通して、お話のフリとオチが分かりやすく描かれていてとても爽快です。
1エピソードあるいは1シリーズで描かれた伏線が、きちんと回収されて最後にスカッと締めてくれる。
この成立している感じがとても好きです。
 
そしてその過程に盛り込まれている要素が絶妙なスパイスになって、この作品に引き込まれたのかなと思いました。
 
  • 主人公ミルドレッドの真っ直ぐさ
  • ミルドレッドと対立するキャラクターの存在
  • ドタバタコメディ
  • シリーズ終盤のハラハラする展開
これらの要素のどれか一つでも欠けていたら、この作品にハマっていなかったと思います。
 
◯主人公ミルドレッド
物語の主人公といえば、何かしらの欠陥があるけどやるときは真っ直ぐに立ち向かうというのが王道の一つかと思います。
 
御多分に漏れず、ミルドレッドもそんな主人公の一人で、右も左も分からないまま魔女学校に
入学することになり、案の定トラブルの連発。
それでも、持ち前の真っ直ぐさで困難を乗り越えていきます。
その有様が、シンプルながらも清々しくて胸を打つものがあります。
 
彼女の変化をシーズン1から3まで通してみてみると、
1は失敗を繰り返しながらも、少しずつだけれど泥臭く成長していく物語。
 
2はシーズン1を経て自信をつけたミルドレッドが、
1の時よりも主体的に魔女として生きる物語。
そして、シーズン2はクライマックスが本当に素晴らしいのです。
シーズン1から少しずつ蒔いてきた種が、見事に開花しています
 
そこには、ミルドレッドは“魔女の家系ではない”という
一貫して描かれてきたテーマの結末が描かれています。
これが、本編のシナリオと絶妙に交じり合って、最高の物語へと昇華されています。
 
シーズン3は今まで教わる立場だったミルドレッドが、
自分の学んだことを伝える側になっていきます。
それはそれでまたトラブルがあり、魔女学校のピンチがあるわけですが、
シリーズを通じて、徐々にミルドレッドの他の魔女への関わり方が
変わっていくのが面白いです。
 
 
◯対立するキャラクター
 
ミルドレッド・ハブルと対立するキャラクターも見事な個性を発揮し、
物語を一層面白くしています。
 
その1人が、ヘカテ・ハードブルーム(Hecate Hardbroom:HB)です。
HBは魔女学校の教頭で、伝統を重んじる厳格な先生。
 
魔女の掟を全く知らないミルドレッドが魔女学校で学ぶことをよく思わず、
何かと厳しく当たったり、トラブルのたびに退学させようとします。
 
けれども、ミルドレッドが困難を乗り越えるたびに、次第にその考え方も変わっていきます。
最初は心の底から毛嫌いするような態度ですが、
シリーズが進むにつれて徐々に彼女への理解を示すようになります。
 
それと同時に、厳格さの裏側に魔女学校への愛情があることが
物語の随所で描かれています。
その背景が物語に絶妙に挿入されていて、ただの意地悪な先生で終わらず、
キャラクターに説得力が生まれているような気がします。
めちゃめちゃ厳しい先生ですが、たまに見せる学校や校長への思いやりに
ホロリとさせられます。
 
そして、厳格なHBの過去がシリーズを通して少しずつ明らかになっていくのも見逃せません。
なぜここまで厳格な魔女なのか。なぜ厳格になってしまったのか。
この謎が明かされていく過程も、物語を盛り上げています。
 
もう一人忘れることができないキャラクターがエセル・ハロウ(Ethel Hallow)です。
エセルはミルドレッドと犬猿の仲で、ことあるごとにミルドレッドを目の敵にし、
常にトラブルを巻き起こします。
 
また、名家ハロウ家に生まれたことを誇りに思い、常に自分が一番で、自分だけが特別で、
他人より劣ることなどあってはならないという、滅茶苦茶なプライドの高さ。
そのせいもあってか、まあ性格が悪い。
 
シーズン1ではミルドレッドを陥れる彼女の姿が度々描かれています。
しかし結局は、その目論見はいつも失敗に終わり、
反対にミルドレッドは一目置かれる存在になっていきます。
 
ところが、シーズン2では少し様子が変わってきます。
エセルの意地悪さは相変わらずですが、同時にエセルの性格を
決定づけている彼女の家庭環境が次第に明らかになっていきます。
 
シーズン2は、エセルのバックボーンを描きつつ、
それが物語の主要なテーマとも上手く結びついています。
このあたりの話もシーズン2を傑作にしている要素だと思います。
 
こうしたエセルの姿を見て、彼女の目論見が失敗に終わった後の感情が
「ざまあみろ」から、「ああ、また報われなかった…」というものに変わっているのに気づきました。
 
エセルの行動がおしなべて、母親を振り向かせたい、認められたいという
承認欲求から生じていることに気づいたからです。
そう考えると、周囲から距離を置いて孤立してしまう彼女、
ねじ曲がった方法でしかアプローチができない彼女の姿が無性にいとおしく思えてきます。
 
悲しいかな、エセルの孤独はシーズン3まで一貫していて、
ミルドレッドの活躍に反比例して増していくようです。
そのたびにどうか、エセルが報われる日が来てほしいと思うのです。
 
 
〇コメディとハラハラの展開
 
ミルドレッドの魔女学校は基本的にはコメディ作品で、
そのうえでキャラクターたちの成長が描かれています。
この作品にここまで入り込めたのも、コメディ要素がかなり大きいかもしれません。
 
ここ数年は、自分自身がパッと見てわかりやすいものや単純なものを好む傾向になっていて、
この物語のなかで描かれるドタバタコメディはまさにそれなのです。
 
キャラクターがズッコケる、水をかぶるなどなど単純明快な面白さが爽快で、
それがこの作品の”つかみ”になっているのかなと思いました。
 
コメディ要素が”つかみ”になっているということは、それを取っ掛かりにして
ストーリーの本筋が描かれるわけです。
それは大抵シリーズの終盤にやってきますが、これがハラハラドキドキする展開で
コメディやキャラクターの成長もすべてひっくるめて、一つの物語として一気に昇華していきます。
 
どのシリーズにも共通なのが、毎回魔女学校に危機が訪れ、それを乗り越えるというものです。
そのいずれもが、ほどよく絶体絶命感を描いているのです。
 
あのキャラが、学校がピンチ!どうなるの!?という緊迫感が
ありありと伝わってくるのは、ひとえにそれまでの過程を一つひとつ
描いているからなのでしょう。
 
このあたりの、物語を緩めるところと締めるところのメリハリがはっきりしているのが
この作品を傑作にしているのだと思います。
 
 
〇シーズン4の配信を待つ
 
The Worst Witchは、現在英国のCBBCでSeries4が放送中のようです。
ここまでシーズン1~3までを一気に視聴してきたので、続きが早く見たくてうずうずしています。
そのうちNetflixでも配信されるはずなので、おとなしく待ちます。
それまでに、原作を読んだり、日本語字幕で見返そうかなと画策中。
 
何の気なしに見始めた作品にハマってしまうとは、
自分でも思いもよらないことでした。
 
シーズン1の序盤はやや退屈かもしれませんが、
視聴を続けて損はないと思っています。
興味のある方は、ぜひ視聴してみてください。
 
 
 
 

シャキーン!の好きなコーナー10選

毎朝Eテレで7:00から放送しているシャキーン!

この4月にMCが交代し、新たなコーナーが始まった。


その中から、12月現在で好きなコーナー10個をあげてみる。(ランキングではない)

  • 小学50年生のりおくん

のりおくん(西川のりおさん)が、小学生からの質問に答える。時にちぐはぐに、時にバシッと質問に答えるのりおくんが最高。POISON GIRL BANDとの掛け合いから滲み出る仲の良さも楽しい。

 

  • 惑星兄弟

土屋萌児さんによるアニメーション。ぶっ飛んだ展開に毎回度肝抜かれるが、その後にじわじわこみ上げてくる快感がたまらない。何も考えずに、ただ目の前の映像を受け入れるだけ。

 

  • 形容詞くっつけ工場

工場長(大堀こういちさん)と、作業員(吉増裕士さん)が、形容詞同士をくっつけて新しい形容詞を生み出す。学術的でもあり、ある種子どもの遊びのような作業を、熟練の演技で滑稽に演じているさまが面白い。

 

  • 気の合う3人

テニスコートの3人が、耳で聞くと同じ言葉でも意味が異なる言葉をそれぞれに言い合う勘違いコントのようなコーナー。(例:「いかない」→「以下ない」・「行かない」・「イカ無い」)上の説明でほぼ言い尽くしているが、それぞれがバラバラの事を言い合って全然噛み合わない様子がおかしい。毎回の終わらせ方も好き。

 

  • オッケーお茶の間

玉城ティナさんが、「オッケーお茶の間」の合言葉と共に、視聴者に質問を投げかける。質問がなかなか難しい。(「ひとつまみってどれくらい?」など)家にいるシチュエーションの玉城さんが可愛い。

 

  • エンジェルクイズ

矢を構えた天使たちが風船を割り、一つだけ残る風船を当てるクイズ。縦・横・斜めのラインに風船が並び、天使たちが一直線上から矢を放つ。立体的に捉える難しさに加えて、画面が動くため難易度が高い。その代わりに、正解したときの喜びは大きい。

 

毎回出てくる対象物が、アスパラの長さ何本分かを当てるクイズ。ルールは単純でも意外と難しい。コーナー中に流れる「今日もアスパラが生えてきたぞっ!」の歌も好き。この曲がかかるとテンションが上がる。

 

  • デルクイデルクイ

岡江真一郎さんによる実写とアニメーションを融合したコーナー。実際の街角の建造物(道路のポールなど)が徐々に飛び出してきて、それを謎のキャラクター(人の手と下半身が合体したような)が、ハンマーで打ち込んでいく。何が飛び出してくるか分からないワクワク感と、キャラクターがハンマーで叩くさまが妙に愛おしい。

 

  • カウントダウン劇場

イリュージョン児島(アンジャッシュの児島さん)が、日常の風景から「3」「2」「1」にまつわる言葉(3なら三つ編み、2なら二つ返事、1なら一文なし)などを見つけ出し、それが揃ったとき初めて手品を見せる。自分も児島さん視点で、言葉を探す時間が楽しいし、意外な言葉を発見した時の感覚も楽しい。

 

  • オ・ソラ・ミヨウ

お空見よう士の片岡信和さんが、実際のあるいは絵画にある空の風景から、その場所がどんな天気かを解説する。信和くんが爽やかでイケメン、声も良い。「お空見よう〜♪」と歌いながら登場し、ミュージカルのような感もある。自分の知識を、こういう形で活用する人やコーナーが好き。

 

シャキーン!は4月〜3月が一区切りなので、3月にまた更新するかもしれない。


年末年始のシャキーン!は再放送の期間が長いので、新作回が待ち遠しい。

 

税理士試験の合格発表を受けて(出来なくて悔しいと思う気持ち)

2019年12月13日、第69回税理士試験の合格発表があった。

昨日、その通知が届いた。

8月の本試験で、簿記論と財務諸表論の2科目を受けて結果は、簿記論は不合格。財務諸表論は合格。


合格科目があったことが本当に嬉しかった。努力が報われる感覚は、こういうことを言うのかとしみじみと感じた。

簿記論は自己採点の段階では、ある程度覚悟をしていたこともあって、それほどショックはなかった。また来年に向けて勉強を続けるだけ。

まだほんの通過点に過ぎないが、一応一区切りがついたので、整理をしたい。


専門学校の通信講座で勉強を始めたのが、2018年の5月。
今までにないくらいに勉強をした。

そもそものモチベーションは、今の境遇のまま終わりたくないというものだった。

これを維持することができたのは、他でもなくアイカツ!のおかげといっていい。


主に星宮いちごや大空あかりの物語からは、多くのものを受け取ってきたつもりでいる。
それは、自分の価値観や根幹に関わる程のものだったと思ってもいる。

自分の環境を省みたとき、それだけのものを受け取った以上は、自分も何某かの形でこの恩(に近いもの)を返したいと思った。

私がたまたま商業高校に通い、大学でも簿記や会計を勉強していたこともあり、その延長線上に税理士試験があった。

自分が恩返しをするとしたら、この試験に挑戦して、自分の望む仕事をすることだと思った。


(何も、アイカツ!が大切な作品になったから必ず恩返しをしなければいけないという話ではないし、そうであったとしても人それぞれの形があると思う。)

 

何かを成し遂げたいという気持ちを持って改めてアイカツ!を眺めると、作中の曲やシーン、台詞が自分のことのように思えてくる。

ソレイユの名曲「ダイヤモンドハッピー」には、何度救われたか分からない。
ライブで聴くと、文句なしに盛り上がれて最高に楽しい曲であるのに、気持ちが折れた後に聴くと涙と悔しいと思う気持ちが次々にあふれてくる。

そうやっているうちに、またやらなきゃという気持ちになってくる。

 

星宮いちごアイカツ!で忘れることができないのが、神崎美月の存在。

この人の言葉にも、いつも気持ちが奮い立たされてきた。

出来なくて悔しいと思う気持ち。それがあれば前に進める。そう、これでいいと思えばそれで終わり。でもアイドルは常に前に進まなきゃ
アイカツ!第16話 ドッキドキ!!スペシャルライブ PART1

しょうもないミスをした時は、いつもこの言葉を頭の中で繰り返した。

自分が初めてアイカツ!に胸を撃ち抜かれたのがこのシーンで、それが今も自分の心を揺さぶっていることを思うと、アイカツ!の偉大さを感じずにはいられない。


ところで、私は平日は大抵朝起きてからの勉強を続けてきたし、今も継続している。

その時にお供にしていたのが、「芸能人はカードが命」

アイカツ!の視聴者ならご存知、アイドルたちがステージに向かう際に流れる曲。

作品を自分の生活に結びつけて没入しようとするのはオタクの性のようなもので、それでも自分の状態をフラットに持っていけるなら一向に構わない。


もっと楽しくするために、iPhoneのショートカット機能で、Siriにある言葉を呼びかけると曲が流れるようにした。

"よろしくね、私の味方"

最初は面白半分でやってみたが、一瞬で平常心になれるようなおまじないが欲しかったのかもしれない。
今では、問題を解き始める時には、ほぼ無意識でこの言葉を唱えている。


試験に合格したとは言え、5科目あるうちの1科目で、まだ通過点の一つに過ぎない。
来年は簿記論のリベンジをする。

これからもアイカツ!に助けを借りながら勉強する。
"あの日があって今が最高になる"ように。

ラーメン屋からデレマスLVに行った話

その日(11月10日、日曜日)は、 いつも通りニチアサを観終わった後、
毎週の恒例となったおもちゃ屋めぐりをしていた。


おまけに、近くにあったBOOKOFFでお気に入りの歌手の
アルバムを発掘して、ホクホクの気分のままラーメン屋の
暖簾をくぐり、醤油ラーメンが来るのを待っていた。


何気なくiPhoneを見ると、LINEに通知のバッチが1つ。
何かのお知らせかなと軽い気持ちでLINEを開いた。


みると、挑戦状ともとれる画像が叩きつけられていた。

 

f:id:monchy2552:20191112204019j:image

 

THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS 7thLIVE TOUR Funky Dansing!」


ラーメンの香りだけが体に入り込んでくるだけで、
何のことか理解ができなかった。


挑戦状には、是非ともデレマスのライブビューイング(LV)に行って、
踊ってくれ(大意)と書かれていた。


デレマスのライブといえば、前日にtwitterで話題になっていて、
何となく頭の中には残っていた。


そのライブに、予習なんていいからとにかく行ってくれと。
この時、時刻は13時半になろうかという所。


これから、16時から始まるLVに?
午後の予定はどうする?
どこで埋め合わせる?
思考がぐるぐる回る。


そんなぐるぐる回っている自分に、自分の声が聞こえてきた。

「これに行かなかったら後悔するぞ、また理由をこじつけて行かなかった自分を無理やり納得させるだけだぞ」

なんとなく、こいつに負けたくないと思った。
また、敗北街道を進むのはごめんだと思った。


その瞬間、徐々に心拍数が上がってきて、何か面白いことが起こりそうな気がして、届いたラーメンもそっちのけでチケットを求めた。


自分の身に何が起こっているのか、何が起ころうとしているのかさっぱり分からないまま、無心でKinezoのログイン画面にパスワードを打ち込んでいた。


そして2時間後。

 

f:id:monchy2552:20191112204102j:image

 

後で思えば、自分史上一番フットワークが軽かった時間だったかもしれない。

 


いよいよ開演。
デレマス楽曲もほぼ知らず、タオルも光る棒も持たず、多少の心細さはあったが、開幕の「ミラーボール・ラブ」でそんな心配も消えた。


ステージで歌い、“踊る君を見て”、ただ音楽に身を任せるだけで十分だった。

ステージで歌って踊るアイドルはいつもキラキラしていて眩しい。

アイドルのこういう姿を見るたびに、アイドルはすげえなあと思わされる。

 

そんな中で、「 イリュージョニスタ!」は格別だった。

LVの親切設計によりその文字列が飛び込んできた。
イリュージョニスタ?イリュージョン?何それ?

一瞬でタイトルの魔法にかかってしまった。
そうして、どんな曲がくるか予期する暇もなく、あまりにも楽しいギターサウンドが響き出した。

こんなにポップでハッピーな曲を、アイドルが歌って踊っていたら、そりゃ最高だよね。
楽しさのあまり思わず涙が出た。


そして、前日にtwitterで情報を見ていた、DJ KOOさんも登場。
最高だったのは言わずもがな。ただただ、楽しかった。


名古屋のダンスフロアでミラーボールが回り出してから、これが4時間続くの?と、体力と気力に不安を抱えつつも、クライマックスまであっという間に時間が過ぎた。


この半日のうちに何が起きたのか、終演後もさっぱり理解できなかった。

夕食の玉子レタス炒飯を食べる間も、TJOYからの帰り道も、風呂に入って疲れを取ってみても、あれが夢だったのか現実だったのかやっぱり確信がもてなかった。

とにかく夢見心地だった。


公演の最後に、シンデレラたちの挨拶があった。

今までボイスがついていなかったアイドルの声を自分が担当することになったこと。
そのアイドルとともに成長し、このステージに立ったこと。


ああ、これがシンデレラガールズかと思った。


最後のMC以外にも、シンデレラ一人一人のストーリーを感じる場面が端々にあった。
単にキャラクターの声を担当すること以上に、役者としての人生を垣間見たような気がした。

ファンの期待を一身に背負って、プレッシャーと戦って舞台に立つ人たちのステージが
最高じゃないわけがないなと。

そう思わせるくらい素晴らしい時間、素晴らしい時間、素晴らしいライブだった。

 


あと、デレステをダウンロードした。
ガラケーモバマスをやっていた時以来。

 

 

 

「スター☆トゥインクルプリキュア 星のうたに想いをこめて」を観た

「スター☆トゥインクルプリキュア 星のうたに想いをこめて」を観た。


OPでのキャラ紹介がヒーロー物みたいで良かったとか、ユニのスカジャン姿に惚れたとか、端々に気になる所があったけれど、それ以上に良いなと思うものがあったので、備忘録的に書く。

 


突如、ひかるとララの前に現れたUMA


異星人が地球に姿をみせることの危うさから、最初はララと仲違いするものの徐々に打ち解け、思い出を紡いでいく。


しかしUMAは、やがて新たな星になるために宇宙へ帰らなければならない。


絆を深めた友が、目の前から消えてしまう。
その事実を受け入れられないララ。


この映画の大きな波の一つであるシーンを前にして、ある曲の歌詞が頭の中でリフレインしていた。


君は星になるんだ
見つけやすいオリオン座の近くにいてくれよ


それが、歌手石川智晶さんの「アイルキスユー」という曲だった。


この曲は、親しい間柄にあった二人が死に別れ、残った一人がその相手を想う曲(と私は理解している)。


"君は星になるんだ"というフレーズが、そのままこの映画の流れを示しているようで、ずっと頭から離れなかった。


UMAの運命を知り、星になったUMAに必ず会いにいくというララの姿をみて、胸が空く思いだった。


UMAとの思い出がずっと記憶され続け、それがララの支えにもなるのかなどと妄想して、密かに感激した。

 


星になるUMA
終盤で、そのイメージが次々に溢れ出るシーンがあったが、これも胸を打つものがあった。


主に、ひかるやララと世界各地を巡った思い出、つまり様々な動物たちや草木、風景などが次々に立ち現れて圧倒された。


一度終わりを迎えた星の欠片が、新たな星となって生まれ変わる。


一つの終わりが、一つの始まりに繋がっているという象徴的な場面で、心の底の方から感動が呼び起こされるような気持ちになった。


Eテレで放送中のシャキーン!で流れていた「終わる瞬間」という曲の映像でも、似たような描写があり、その時の感覚に通じるものがあった。

 


初めは何となくのあらすじしか知らない状態で鑑賞したものの、思いがけず琴線に触れるものがあり、また観たいと思う作品だった。


テレビシリーズの今後も楽しみ。

シャキーン!ミュージック「どっか」(どこでもない場所)

Eテレで月曜日〜金曜日の朝7時から放送中のシャキーン!
その中で、月替わりで流れるシャキーン!ミュージックの新曲が解禁された。


曽我部恵一さん作詞・作曲の「どっか」だ。

シャキーン! うた - キッズワールド NHK Eテレ こどもポータル


この「どっか」に感じるものがあったので、
久しぶりに自分の感覚を書き記しておきたくなった。


アコギを提げた曽我部さんが、様々な場所を練り歩きながら歌う。


"大昔このへんは海だったんだよ 
今はこんな感じ 分かるだろう?"


"大昔ぼくは恐竜だったんだけど
きみはなんだったの? 教えてよ"


初めて聴いた時は「え?」と思った。
そして次の瞬間には想像力が掻き立てられて、もう楽しくなっていた。


この曲は、歌詞が日替わりで変わり、上に引用したような想像力の塊が
次々と投げ込まれてくる。

 


「どっか」というタイトル、それに自由さと想像力に満ちたこの曲を聴いた時、
一冊の絵本を思い出した。


「どこでもない場所」ーロブ・ゴンサルヴェスの描いただまし絵の絵本だ。

どこでもない場所 (海外秀作絵本)

どこでもない場所 (海外秀作絵本)

 


この作者のイラストを、だまし絵の一言で終わらせるにはあまりに忍びない。
海は山となり、ダンスホールは夜風に溶け、チェス盤は遥かな景色へと移りゆく。
現実と空想が絶妙に混じり合う、“どこでもない場所”が、読者を幻想の世界へ誘ってくれる。


「どっか」を聴いて、この絵本を読んだ時の感覚が蘇った。
自分の想像力の扉が開かれて、不思議さと快感とがじわじわと押し寄せてきた。

 


ここまで書いておいてこう言うのも変だけれど、
この曲の一番楽しい所はサビにあると思う。
(サビなのだから、当然といえば当然なのだけど)


“君と一緒ならどこでもいいのさ”


想像を掻き立てられる世界観から一転して、
シンプルな歌詞がアコギの軽快な音とともに、
一気に流れ込んでくる。


この曲はミュージックビデオも日替わりで変わって、
いずれも屋外で曽我部さんが気持ちよさそうに歌っているから、
その爽快感もたまらない。


一番好きなMVは、小学校の校庭で児童たちに囲まれながら
曽我部さんが歌い上げるもの。


子どもたちの笑い声や駆け回る音が自然に混ざりあっていて、
本当に楽しいし、見ていて気持ちが良い。


曲終わりに1人の子が「もう一回やって」とアンコールを入れているのも
おかしくて、それも含めて楽しい。

 


今日(2019年10月14日)の放送を見たら、また新しい映像になっていて、
「月曜〜金曜の5パターンだけじゃないの!?」と驚きと嬉しさがこみ上げた。


しかも、ちょっとセンチメンタルなものだったので、
またこの曲に引き込まれてしまった。


これが毎朝聴けると思うだけで嬉しくなってくる。
皆さんも、ぜひどうぞ。

シャキーン!めいちゃんとモモエさんが卒業した

Eテレで平日の朝7時から放送中のシャキーン!


2015年からMCを務めてきた、めいちゃんとモモエさんが

この3月をもってシャキーン!から卒業した。


シャキーン!は放送開始から10年。
この二人がMCを務めたのは4年間。
その間に自分がシャキーン!を視聴した期間は、約1年半に過ぎない。


その間にも、数えきれない驚きや閃きや喜びを
届けてくれたこと、そして自分の価値観に大きな影響を
与えてくれたこの番組と二人に感謝したい。

 


シャキーン!を視聴してきたこの1年半という期間は、
小学生時代以来にEテレを再び視聴し始めてからの期間と一致する。


平日の夕方にハッチポッチステーションを見、
天才てれびくんを見るという習慣が染み付いていた
あの小学生時代以来のEテレを見るという習慣が戻ってきた。


けれども当時の教育テレビを見ていたあの頃と、
Eテレを視聴している今とでは、受ける印象がまるきり違うことに驚く。


かたや日常の娯楽としてのみ享受していたあの頃と、
娯楽の範疇を超えて新たな価値観に気づいた現在。


10代の自分は、グッチさんにエンターテイメント性を感じたり、
あのてれび戦士たちにスター性を感じたりしても、
今の自分のような価値観を持ち合わせることはできなかっただろう。


それが今ではシャキーン!を筆頭に、Eテレから単なる娯楽という域を

超えた新たな発見や驚きを感じている。


これらの感覚は、ちょうど物事の分別がつき始めた10代の自分が

「いやいや、そんなの当たり前でしょ」と素通りしていたものたちだ。


そのことに気づくことができたのは、
時間の経過と経験の蓄積と言われればそれまでだが、
今現在のこの自分がEテレに、ひいてはめいちゃんとモモエさんの

率いるシャキーン!に出会ったからだと信じている。

 


自分にとって、Eテレブームの象徴とも言える二人が卒業する。


寂しい。


あたかも、一つの時代が終わったかのような感もあり、名残惜しむ気持ちは大きい。


けれども、この感情を念入りに調べてみれば、その先には自分が

受け取ってきたあの興奮や感動の記憶が必ず待っている。


だから大丈夫。
この記憶があれば前に進める。


そして将来、二人の活躍が意識に上らなくなったある時に、

急に二人のことを思い出す瞬間がきて、それがまた活力になっていく。


そうやってまた前に進んで行ける。

 


ありがとう、めいちゃん、モモエさん。