皆さん、シャキーン!ミュージック「Wonder Wander」を

Eテレで放送中のシャキーン!内で、月替わりで放送されるシャキーン!ミュージック。

 

今週から新曲「Wonder Wander」の放送が始まった。

シャキーン! うた - キッズワールド NHK Eテレ こどもポータル

 

4人組のバンドHomecomingsと、めいちゃんによる新曲。

 

一聴して、あ、この曲好きだ。そう思った。

 

日々の生活に埋もれていく中で、忘れてはいけないこと、

いつまでも心に留めておきたい大切な感情を思い出させてくれる。

そんな一曲。

 

あの頃抱いていた感情。

それは、危うくて壊れやすいけれど、とびっきりに輝いている、

自分だけの大切な感情。

そんな、懐かしくて大切な感覚に気づかせてくれる。

 

シャキーン!ミュージックの楽曲は、それら全てが「シャキーン!」という

番組を代表するものだと思っているけれど、今回の「Wonder Wander」も

まごうことなき「シャキーン!」の楽曲だと感じた。

 

つい見失ってしまいがちな大切な感覚に、シャキーン!と目を見開かせてくれる曲。

 

 

音楽に明るくない私は、この曲で初めてHomecomingsというバンドを知った。

 

そして、大切な感情や感覚を、どこか懐かしさを感じさせるサウンドとともに

届けるこのバンドのことも、いっぺんに好きになった。

 

特にサビの高揚感は、感傷的な雰囲気とか、劣等感とか、

期待とか、全部の感情が綯い交ぜになって、とても胸に刺さる。

 

おまけに、そこに投げ込まれる『眠れない夜 不思議なドキドキは 忘れないで 忘れないで』の

歌詞に涙が出そうになる。

 

 

最後にもう一つ。

この曲の主人公を演じる女の子に不思議なくらい引き込まれる。

 

テントに佇み、真っ直ぐに前を見据える彼女の瞳からは、

幼いながらも何物にも動かされまいという強い意思を感じる。

 

また、寂しさを噛みしめる表情は、私自身の心情を

体現しているように見えて、グッと来てしまう。

 

 

こういうものが一体となっている素敵なシャキーン!ミュージック

「Wonder Wander」を皆さんもぜひ、聴いてみてください。

 

シャキーン!を知らない人でもぜひ。

放送はおそらく12月の頭くらいまで続くはずなので。

 

映画HUGっと!プリキュア・ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ を観た

もう2週間くらい前に観た、劇場版プリキュアの感想。

 

人の「想い出」を奪ってしまう怪物ミデンと、プリキュアのお話。

 

今年でプリキュア15周年。

その歴史を、途中(具体的にはスマイルプリキュアの序盤)から見てきた自分の中にも、「想い出」が根付いていたことを改めて感じる作品だった。

 

プリキュアの「想い出」

自分にとってそれは、プリキュアに救われてきた記憶であったし、自分もこうありたいと思わせてくれたことへの感謝でもあったかもしれない。

 

そのときの「想い出」が、クライマックスの歴代プリキュアが登場するシーンで、いちどきに溢れてきて涙が止まらなかった。

 

ああ、自分はプリキュアたちのこういう姿に救われていたんだ。

 

この気持ちに辿り着いたのは、歴代プリキュアの「想い出」もそうだけれど、キュアエールとミデンの対峙も大きかった。

 

特にエールが、今まで以上に相手に寄り添っているようにみえたのが強く印象に残った。

 

正直に言えば、テレビシリーズが始まった当初の、キュアエールのフレッ!フレッ!が少し苦手だった。(今は、そうでもない)

 

そんなに一方的に応援されても、と思っていた。

 

だから、型にはめたように説得するプリキュアに対して、ミデンがみせたような反発やネガテイブな感情が分かるような気がした。

 

そんな中で、エールだけは違っていた。

 

あの時にみたエールは、自分の中に確信が持てなければ、このもやもやを晴らさなければ、ミデンときちんと向き合えない。

そんな風に考えているように見えた。

 

そういう風に少しずつミデンに歩み寄ろうとするエールの姿があったからこそ、最後にミデンが救われていく様が、とても心に刺さった。

 

同時に自分も救われた気がした。

 

そうして、この体験が新たな「想い出」になって、数珠繋ぎのようにずっと連なっていくことに思い至って、また涙がじわりと滲んできた。

 

鑑賞後しばらく、この幸福な余韻が残った。

ありがとう、プリキュア

 

 

若おかみは小学生!を観た

Twitterで大変話題になっていた、「若おかみは小学生!」を観た。

 

画、アニメーション、音楽、ストーリーとどこを切り取っても楽しめる作品で、映画を堪能するとはこのことかという感情が強く残った。

 

それと共に、若おかみとして成長するおっこの姿に、襟を正される思いがした。

 

何よりもおっこの、“若おかみ”に対する、春の屋旅館に対する、そしてそこを訪れるお客様に対する誠実さや、尊敬の念に胸を打たれた。

 

自分に対しても、年長者に対しても、同輩に対しても、お客様に対しても、こうした誇りと誠実さをもって接する魂を目の当たりにすると、清々しい気持ちになるし、自分も背筋を正さなくてはといつも思わされる。

 

両親の不幸で祖母の旅館に引き取られたおっこが、それらの感情や姿勢を身につけていく姿が、最高の画とアニメーションと音楽と共に、描かれていた。

 

 

また、アニメーションと音楽という点で、特に強烈な印象を受けたシーンがあった。

グローリーが、おっこを連れてドライブするシーンだ。

 

陽気で軽快なサウンドと共に、開け放たれるサンルーフ。そして、頭上には一面に広がる青空。

直前までの陰鬱な展開が、「ジンカンバンジージャンプ」のイントロと共に、一気に吹き飛ばされた。

 

そして、それまでまだくすぶっていた自分の熱量が、この演出で一気に高まり、爽快感と高揚感がどっと押し寄せてきて、そこからはもう待ったなしで、この世界にのめり込んだ。

 

思いがけずにやってくるこういう瞬間は最高に気持ちが良い。何度でも体験したいシーンだった。

 

 

若おかみは小学生!」については、原作も知らなければ、最近まで放送されていたテレビシリーズを観ていた訳でもなかった。

それでも、この作品に込められた魅力を存分に堪能できた。

そして鑑賞後に、“ああ良い映画だったなあ”と自然に思えてくる作品だった。

 

ありがとう、おっこちゃん。

シャキーン!ミュージック「タイミング」について

「君があの日 僕にくれた言葉が急に響き出すタイミング」

 

Eテレで放送中のシャキーン!内で、月替わりで放送されるシャキーン!ミュージック。

シャキーン! うた - キッズワールド NHK Eテレ こどもポータル

 

今月は、ザ・なつやすみバンドとモモエの「タイミング」だった。

 

レギュラー放送で曲が流れるのは、ひとまず今週で最後。

 

今朝もいつも通りに放送を観ながら、改めてこの曲も「シャキーン!」を体現していることをしみじみと感じた。

 

何気ないことや、当たり前の中に隠れている(あるいは、歳を重ねて気づけなくなってしまった)ことを、驚きや閃きと共に気づかせてくれるシャキーン!

 

「君があの日 僕にくれた言葉が急に響き出すタイミング」

 

シャキーン!や、その他自分の好きなものたちから大切な事を教わる、その"タイミング"は急にやってくる。

 

今はできなくても、ある時できるようになるその"タイミング"が急にやって来るかもしれない。

そう考えると、楽しくなって来る。

「ナナメの夕暮れ」を読んだ。

オードリーの若林さんの「ナナメの夕暮れ」を読んだ。

 

ダヴィンチでの連載に、書き下ろしを加えたエッセイ集。

 

Twitterで急に情報が飛び込んできて、最近読書から離れていたことも手伝って、一気に読みきった。

 

若林さんのエッセイを読むのは、「社会人大学 人見知り学部 卒業見込み」以来で、最初は、人見知りや斜に構えた若林さんに共感しながら、ページをめくった。

 

その感覚分かるなあ。ああ、たしかにそういうことありそうだなあ。

 

しかし、第一章の最後「凍える手」で、その印象は一気に覆った。

 

そして、親父が死んでからは本格的に冷笑・揶揄からは卒業しなければならないと思い始めた。死の間際、病室で親父が「ありがとな」と言いながら痩せこけた手で母親と握手している姿を見たからだ。その時にやっと、人間は内ではなく外に向かって生きた方が良いということを全身で理解できた。教訓めいたことでもなくて、内(自意識)ではなく外に大事なものを作った方が人生はイージーだということだ。(「凍える手」P143)

そんな陰鬱な青年期を過ごしてきたから、おじさんになった今こそ世界を肯定する姿を晒さないとダメだと思った。(同)

 

やっぱり、自分も変わっていかなくちゃと思った。

人見知りや斜に構える態度に共感ばかりしていては、ダメなのだと気付かされた。

 

さらに、第二章「ナナメの殺し方」で、自分自身を肯定し、他人を肯定し、やがて世界を肯定していく若林さんの姿に、自分の心が開かされているのを感じた。

 

若林さんの、俺はこうやって変わっていくのだと言わんばかりの有様に、心をグサグサと切り開かれた。

 

そして、最終編「体力の減退」に描かれているオードリーの新作漫才のくだりは、若林さんの変化の極致のようで、熱いものがこみ上げてきた。

ほとんど軽い気持ちで読んだエッセイで、こんな気持ちになるなんて思いもしなかった。

 

読後、どこか肩の荷が下りたような、心がふっと軽くなったよう気がするとともに、自分もこうありたいと思った。

自分が共感を寄せた若林さんが変わっていったからこそ、自分も変わらなければと思った。

 

もっと外に向かって生きていかないと。

そう思わせてくれるに、十分な一冊だった。

 

 

ナナメの夕暮れ

ナナメの夕暮れ

 

 

 

エッフェル塔の変装に、ピサの斜塔を使う

エッフェル塔の変装に、ピサの斜塔を使う。

 

シャキーン!の新年度から始まったイチオシのコーナーの一つ、「コードな会議」

 

シリアスな雰囲気の中で、場違いで今の通らない会話が急に飛び交い出す、そのギャップが面白い。

 

センターにいるボスが、大和田伸也さんなのも、このギャップの力を大いに強めている。

 

この面白さとは、紛れもなく「シャキーン!」を象徴している。

 

さらに言えば、息の詰まる現実から一瞬で非現実に跳躍するような快感は、SFにも通じるものがあると思う。

胃がキューってなる

最近、胃がキューってなる。

 

ここ数日は、胃が炎上したり、キューってなったりする。

 

ペンギン・ハイウェイの「海」を思い出した。

拡大したり、収縮したり。

 

この胃の炎上とキューっも、"お姉さん"が関係しているかもしれない。

 

支離滅裂な思考・発言